中島ひとみ陸上の原点は中学時代!無敵伝説と挫折からの復活劇

アスリート

世界陸上で活躍する中島ひとみ選手。

彼女の強さの原点は”天才少女”と呼ばれ、全国制覇を成し遂げた中学時代にありました。

輝かしいキャリアのスタートと、その後に待ち受けた苦悩、そして復活までの軌跡を追います。

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この記事でわかること

  • 中島選手が「天才少女」と呼ばれた中学時代の圧倒的な成績
  • 全国優勝から一転、高校・大学で経験した知られざるスランプ
  • 苦悩を乗り越え、再びトップ選手へ返り咲いた復活の物語

今、世界の舞台で日本の女子100mハードル界を牽引する中島ひとみ選手。

しなやかで力強い走りは多くのファンを魅了しています。

しかし、彼女の陸上人生は決して順風満帆ではありませんでした。

その強さの礎には、中学時代の圧倒的な成功と、その後に訪れた長いトンネルのような苦悩の時期があったのです。

中島ひとみの陸上の原点!”天才少女”と呼ばれた中学時代

中島選手の陸上キャリアの輝かしい原点は、兵庫県伊丹市にある伊丹市立荒牧中学校時代にあります。

陸上を始めたのは中学1年生の時。

陸上部の先生に声をかけられたのがきっかけだったと、多くのインタビューで語られています。

その才能はすぐに開花し、中学2年生で全国中学校体育大会に出場すると、翌年、中学3年生で迎えた同大会で見事に全国の頂点に立ちます。

当時の報道によると、決勝でのタイムは13秒98(追い風1.1m/s)という素晴らしい記録でした。

ハードルを始めてわずか2年足らずで全国を制覇したその姿から、彼女は「天才少女ハードラー」として一躍、陸上界の注目を集める存在となったのです。

栄光から一転…高校・大学時代に直面した苦悩とスランプ

中学時代に世代のトップに立った中島選手ですが、進学した陸上の強豪校・夙川学院高等学校(現:須磨学園夙川高等学校)で、大きな壁にぶつかります。

記録が思うように伸びず、高校3年生のインターハイ前にはストレス性胃腸炎に悩まされるほどのスランプを経験。

全国の舞台でも、中学時代のような輝きを放つことはできませんでした。

その後、園田学園女子大学に進学してからも、一度失った「勝ちたい」という気持ちはなかなか戻らなかったと言います。

過去のインタビューでは、当時の心境を次のように語っています。

同世代のスターを見ても、もう自分はこういう場所にいられないと思いました。勝ちたいという気持ちもなくなって、ライバルとして見ることはなかったです。お客さんかのような気持ちで、本当にすごいなと思うだけでした。

(出典:各種メディアでのインタビュー発言より要約)

中学時代の栄光を知る人から見れば、意外に思えるかもしれません。

しかし、この苦しい時期の経験が、彼女をアスリートとして、そして一人の人間として大きく成長させることになります。

挫折を乗り越えて再び世界の舞台へ!復活の軌跡

大学を卒業し、2018年から長谷川体育施設に所属すると、中島選手は再び輝きを取り戻し始めます。

地道なトレーニングを重ね、2022年の日本選手権で4位に入賞。

そして、2022年9月の全日本実業団選手権では、自身初となる12秒台(12秒99)をマークし、日本女子ハードル界のトップ戦線に返り咲きました。

一度は失いかけた勝利への渇望を取り戻し、挫折を乗り越えた精神的な強さは、彼女の大きな武器となっています。

中学時代の「天才少女」という栄光、そしてその後の長いスランプ。

その両方を経験したからこそ、中島ひとみ選手は今、誰よりも強く、世界の舞台で輝いているのかもしれません。

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まとめ

この記事では、中島ひとみ選手の陸上人生の原点である中学時代から現在までの軌跡をまとめました。

  • 中学時代:伊丹市立荒牧中学校に在籍し、中学3年生で全国制覇を達成。「天才少女」として注目を集めた。
  • 高校・大学時代:輝かしい中学時代から一転、記録が伸び悩むスランプを経験し、精神的にも苦しい時期を過ごした。
  • 社会人以降:大学卒業後に見事復活を遂げ、自己ベストを更新。日本を代表するトップハードラーへと成長した。
  • 強さの秘密:中学時代の栄光と、その後の挫折という経験が、現在の中島選手の人間的な深みとアスリートとしての強さを形作っている。

最後までお読みいただき、ありがとうございます

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