塚本恋乃葉の父親・塚本善之氏は野球選手か競輪選手か?実績から検証

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引用元:ガールズちゃんねる

タレントとして活躍する塚本恋乃葉さん。

父親は元広島投手で引退後は競輪選手に転向した塚本善之さんです。

元野球選手として紹介されることが多いですが、実は競輪選手としては通算121勝を挙げ、野球時代よりも実績が目立ちます。

なぜ、元野球選手と紹介されることが多いのか?

その理由と背景をご紹介します。

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父親・塚本善之はむしろ競輪選手では?実績から上がる疑問の声

今回は、タレント・塚本恋乃葉の父親で元広島東洋カープ所属として紹介される塚本善之さんについて、そのキャリアの実態と背景を深掘りします。

一見「元プロ野球選手」と聞けば、誰もがそれなりの実績を想像します。

しかし、塚本さんの場合、野球よりも競輪での功績の方が圧倒的に輝いています

それでもなお、「元広島投手」という肩書が強調されています。

こうした状況を疑問に思う声もニュースサイトのコメントで見られます

それぞれの実績を見たうえで、理由を検証します。

野球時代:一軍登板なしに終わったプロ野球生活

引用元:中国新聞デジタル

塚本善之さんは1987年、広島東洋カープからドラフト5位で指名を受け入団しました。

当時は期待の右腕とされていたものの、肩の故障などにより、ついに一軍で登板することなく1990年に引退します。

二軍ではわずか7試合の登板、防御率は10.00と厳しい結果に終わりました。

つまり、「元広島投手」とはいえ、実際には公式戦での一軍登板経験はなく、プロ野球選手としての実績は非常に限られていました

競輪で花開いたアスリート人生

引用元:NEWSポストセブン

引退後、塚本さんはまったく別の世界、競輪へと転身します。

1993年に競輪学校を卒業し、同年デビュー。

翌1994年には早くも初勝利を飾り、2002年にはF2戦での初優勝も経験。

年収は一時1000万円を超える年もあったとされています。

競輪人生は実に24年間に及び、通算成績は2039戦121勝。

勝率6%、2連対率17%と、堅実な成績を残しました。

なぜ「元競輪選手」ではなく「元広島投手」と報道されるのか?

実績だけを見れば、間違いなく「競輪選手・塚本善之」の方が主軸となるべきです。

にもかかわらず、「元広島投手」として報じられる背景には、以下のような理由が考えられます。

理由① 見出しとしての強さ

元広島カープ」という肩書きには圧倒的なネームバリューがあります。

全国的に知られたプロ野球チームであるがゆえに、メディアや読者の関心を引きやすいのです。

事実、塚本恋乃葉さんの父親として紹介する際は必ずと言っていいほど「元カープ選手」とか「元プロ野球選手」と紹介されています。

理由② 娘・塚本恋乃葉の影響

引用元:スポニチアネックス

恋乃葉さんは、地元・広島で育ち、生粋のカープファンとしても知られています。

タレントとしても活躍しており、2023年には始球式も経験

カープ父娘」としての物語性が強調されやすく、「父=元カープ選手」という肩書が前面に出されていると考えられます。

恋乃葉さん自身もインタビューで「お父さんはカープの選手だった」と話しており、誇りを持って紹介している様子も伝えられています。

意外と多い?プロ野球→競輪転向の流れ

塚本善之さん(左)と兵動秀治さん 引用元:NEWSポストセブン

塚本さんのように、野球引退後に競輪へ進む選手は他にも複数存在します。

  • 松谷秀幸(元ヤクルト)
  • 兵動秀治(元広島)
  • 北野良栄(元ダイエー)

彼らはいずれもプロ野球で芽が出なかった悔しさをバネに、競輪という別フィールドで再び勝負に挑んでいます

体力・瞬発力・戦略性が問われる競輪は、元アスリートにとって再挑戦の舞台となることが多いのです。

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まとめ

  • 塚本善之さんは広島東洋カープ在籍も、一軍登板はゼロ
  • 競輪では24年間で121勝を挙げるなど、大きな実績を残す
  • メディアでは「元広島投手」として紹介されることが多い
  • その理由は、カープの知名度と娘・恋乃葉さんの影響
  • 元プロ野球選手の競輪転向は、実は複数の成功例がある

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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